<ジャーナリストという仕事>
私は、戦争を知らない世代です。
その私が、はじめて戦争というものをリアルに知ったのは、27歳の時に、「満州・浅間開拓の記」という満州引揚者のルポを書くために、約1年間、長野県大日向村を取材した時でした。
それは、戦時中に満蒙開拓団として、国策で満州の国境近くに送り込まれ、終戦と同時に満州の地に置き去りにされながら、自力で日本に戻ってきた人たちの物語でした。
戦争中、満州国建設の野望に燃えた日本政府は、多くの開拓民を、民族融和の礎として異民族と接する国境地帯に送り込みました。けれど、敗戦と同時に、軍人や役人など戦争を進めた人たちはいち早く日本に逃げ帰り、何も知らされていなかった開拓民だけが、満州の大地に取り残されました。護衛も無く、銃も無く、食料もなく、同胞を次々と失い、子連れで満州の大地をさまよいながら、運のよい者だけが日本に帰り着くことができました。
その人たちの証言を聞き、私は、その時はじめて「棄民」という言葉を知りました。彼らは、まさに、国によって、満州の大地に捨てられた人たちでした。
取材は、「満州・浅間開拓の記」という本にまとめて銀河書房から発刊されました。やっとの思いで書き上げたルポでしたが、それ一冊で、私はルポライターになることを諦めました。なぜなら、戦争を知らずにのんびり育った私にとっては、あまりに凄まじい体験ばかりで、それを精神的に受け止めきれなかったというのが正直なところです。
ルポライターをあきらめ、再び、ビジネスの世界で記事を書くようになり、気がついたら、20年以上がたってしまいました。
けれど、ビジネス記事やマネー記事を書くようになっても、今でも私の頭からは、“棄民”という言葉が消えません。
国とは、民のしあわせのためにあるべきだと思います。国が、民を踏み台にしたり、捨てるなどということは、絶対にあってはならないことです。
そういうことを二度とさせないために文句を言う、それがジャーナリストの仕事であり、私は、一生涯、いちジャーナリストとしてこの仕事を続けていきたいと思います。

荻原 博子